今日はスパルタに向かうため、朝8時30分発のトリポリという、ペロポネソス半島のほぼ真ん中に位置する町に向かうバスに乗った。このトリポリで、さらにスパルタ行きのバスに乗り換えなければならない。スパルタは、ペロポネソス半島の南のほうに位置する。
スパルタというと、ほとんどの日本人はスパルタがどこにあるかわからなくても、“スパルタ教育”などで、スパルタの名を聞いたことがあると思う。スパルタ教育といえば、子どもを厳しく育てることを意味する。
スパルタは、古代ギリシアにおいて、アテネのライバルとして存在した都市国家であり、さすがスパルタ教育で子どもを育てるだけあって、強い国家だったといわれている。では、いったいスパルタ教育とはどんなものだったのかというと、どうやら内容は現在私たちが思っている以上の、厳しい内容だったらしい。
例えば・・・
・ スパルタでは、子どもは国の財産であるので、親が好き勝手に育てることはできない。
・ 赤ちゃんの産湯はワイン(びっくり!!)
→アルコールで痙攣を起こすものは虚弱児である(なんともすごい考え方^^;)。虚弱児は生きていても国の役に立たないとのことで、近くの山に捨てた(ひどすぎる)。
・ 7歳になると国家の養成所に集められて、同じ規律の下で食事も訓練も遊びもすべて一緒に行なわれた。義務教育は軍事訓練。ほとんど裸同然で生活。12歳になると、下着をつけることも沐浴も禁止されたという。
・ 成人男子は10日に一度の割合で裸体検査→肥満と色白は怠惰の証拠として罰せられる(現在の日本の秋葉原系の人は・・・)。
・ 散歩禁止令→散歩ではなく鍛錬によって健康を維持しなくてはならない。Etc.
いや〜、すごいとしか言えない^^;現代日本では、成人するまでにいったいどれだけの人が没落しているだろうか・・・。私なら、合格できるところは、“産湯はワイン”というところくらいだろうか。成人してからも、うかうかしていたら処罰されてしまうので、油断ならない。やはりこれほどまでに統制しなければ、強い国家にはなかなかならないのだろう。
それにしても、古代スパルタ人の意思の強さとその徹底ぶりは、すごいものがあると感心した(ちなみに、スパルタの女の人もかなり強かったらしいです)。
さて、トリポリには10時頃着き、次のスパルタ行きのバスは10時30分だったので、バス停にあるお店で朝食をとることにした。ここでホットサンドを食べた。ギリシアは、街角で売っているサンドイッチやホットサンドがめちゃめちゃおいしいのだが、ここのホットサンドもかなりおいしかった。
トリポリから約1時間かけて、やっとスパルタに着いた。やはりこの町でも、着いた当初はなかなか町の地理がわからずウロウロしてしまい、親切な女の人に目印となるメインストリートの場所を聞き、どうにか自分の位置を把握することができた。
そして、スパルタの遺跡に近い“Cecil”というホテルに行き、値段を聞いてみた。ガイドブックにはシングル6000ドラクマと書いてあったが、4000ドラクマ(1800円)まで安くしてくれた。部屋は値段のわりにとてもきれいで落ち着いていて、十分満足できるものだった。ちなみに、現在の値段はガイドブックにシングル35ユーロと書いてあるので、やっぱりちょっと高くなっている。
スパルタの町も田舎の小さな町だが、オリンピアなどにくらべれば多少大きく、ちょっと賑やかな感じがした。カフェが並んでいるところなどを私が大きい荷物を背負って通ると、店にいる人から客引きなのか声が飛んでくることもあった。賑やかなところはなるべく足早に通り過ぎるようにした。
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